府中のシンボルであり、宝物
国の登録文化財に指定された、明治5年創業の料亭旅館をリニューアルしたケータリングによる飲食、各種パーティーに対応した観光・商業複合施設です。
井伏鱒二をはじめ、多くの文人墨客も訪れた奥ゆかしい佇まいをみせる歴史ある建物、和風建築独特の潤いある美しい空間で、ゆっくりとしたひとときをお過ごしください。
駐車場から本館を望む夜景
無料開放の大正7年(1918)築庭の回遊式庭園が見どころです
明治5年(1872年)、土井利助が恋しきの原型である「旅館土生屋」を開業。その後、当時の財界人・延藤友三郎の提案により名前を「恋しき」と改名しました。かつては、備後地方を代表する料亭旅館で多くの政治家、文化人が逗留しましたが、福塩線沿線随一と呼ばれた名料亭旅館も戦後の急激な経済成長と昭和、平成と続く生活様式の変化に取り残され平成2年に料亭旅館としての幕を閉じることとなりました。その後、15年間は当時の創業者の子孫が大切に守り伝えてきました。老朽化と保存が求められる中、平成17年(2005年)、地域の個人有志と企業の出資により恋しきは、広く地域に開かれた施設として守り続けられ、そのバトンが令和2年(2020年)10月1日に府中市へと受け継がれ現在に至っています。現在は、本館の一般公開と貸室営業をおこなっています。また、庭園には離れを活用したカフェがあり、木曜日から土曜日の期間営業をしています。
恋しきの魅力を360度カメラでご紹介
3Dデジタル技術を活用した映像で「恋しき」をご案内しています。
実際に室内を内覧して歩いているかのようなリアルな3D空間の閲覧、360度体験ができます。
恋しき3階など、普段見ることができない場所も閲覧することができます。
どんな場所?
明治5年、旅館として操業を開始した「恋しき」。ここには日本の歴史に名を刻むような政治家や文学者が数多く宿泊された記録が残っています。
「恋しき」のある府中市は、大化の改新後に備後国府がおかれた古い歴史ある街。石見銀山に通じる石州街道の要衝として江戸時代には周辺の特産品(木綿、藍、たばこ)や山陰地方の特産品がここを経由して全国へ運ばれ、府中市は宿町としてその拠点的役割を果たしてきました。
明治5年、土井利助が恋しきの原型である「旅館土生屋」を開業。その後、当時の財界人・延藤友三郎の提案により名前を「恋しき」と改名します。恋しきの命名には諸説ありますが、特筆すべきは地方や名前を屋号にするのが主流であった当時、「恋しき」という何とも色気ある粋なネーミングをつけたところにあります。鯉料理を提供していた時は「恋一式」というニックネームもあり、ウイットに富んだ会話の一つとしても楽しまれました。その後恋しきは、利助の子・タケが女将となることで発展し、大正7年には当時のお金で2万円(大正9年と令和2年の米の値段で換算するとおよそ2,400万円)という大金を投入。高僧が母屋の3階から指揮を取り庭園を整備し、備後エリアのシンボルとしてその名が広く知れ渡ることとなります。
当時、多くの政治家や文化人が訪れ、犬養毅や岸信介、福田赳夫といった歴代の総理経験者や鳩山威一郎などの大物政治家も宿泊した記録が残っています。文化人では井伏鱒二、吉川英治、田山花袋などの作家、人間国宝の狂言師・茂山千作や備前焼の重鎮で人間国宝の金重陶陽の名前が宿泊者名簿にあります。こうして一時代を築いた恋しきは登録有形文化財となり府中市のシンボルとなりました。
料亭「そ 恋しき」オープン
2024年4月3日、登録有形文化財「恋しき」に料亭「そ 恋しき」がオープンしました。趣のある空間で特別な時間をお過ごしください。
♥ハート型模様の錦鯉 こころ(心)
恋しきには、非常に珍しい、額にハート型の模様を持った錦鯉がいます。
名前はこころ(心)です。
【Recommended course】
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【Profile】
名称 | 恋しき |
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所在地 | 広島県府中市府中町 178 番地 |
開館時間 | 9:00~17:00 |
定休日 | 年末年始 |
問合先 | 電話:0847-41-5140 |
利用料金 | 入館料 無料 <貸館貸室使用料(税込)> ・全館貸し切り: 一日使用料(55000円) ・大広間: 一日使用料(22000円)/ 時間使用料(2750円) ・1階各部屋: 一日使用料(4400円)/ 時間使用料(550円) ・離れ(桐・さつきの間 / 藤の間): 一日使用料(5500円)/ 時間使用料(690円) |
【Access】